怒り。
そう、それは言うなれば怒りである。
6号機のあまりのつまらなさにシュプレヒコールを上げる市民。
僕は2004年からパチンコ屋に出入りするようになった。
デビューから、もう四半世紀を超えてしまった。
最初の数年はもっぱらパチンコばかりやってきたが、あるとき、どうしたことかパチスロに手を出すようになった。
お気に入りはアリストクラートの『巨人の星』。
液晶はないが、十分面白かった。
当時、近所のパチンコ屋の店長が野球ファンで、この台だけは毎日何があっても456を使っていた。
6は滅多になかったが、遊ぶにはちょうど良かった。
それからほとんどパチンコに浮気せずにここまでパチスロばかり触ってきた。
万枚も、2万枚も出してきた。
何故か収支もプラスだった。
ところが今、そのパチスロが全然面白くないのだ。
今回はパチスロのサイトなのに、その根底にNOを突きつける話をしちゃおうと思う。
ここまで来たか、凋落の6号機
僕の周りには、パチスロ愛に溢れた連中が何人もいる。
出目を愛し、演出を愛し、キャラクターを愛している。そんな連中が何人も。
たとえば萌えスロには固有のファンが付きやすいが、マジで設定とか収支も度外視で、愛だけで打てる人ってのが数人いるんだけど、残念なことに僕にはそれがない。
「6号機はクソだと思うだろ?」「ええ、バジⅢの方が100倍マシだわ」
元々パチスロをやっている一番の理由は、お金が増える可能性があるからってだけだ。
キャラへの愛着やら何やら、僕にとっては全然興味がない。
興味がないので、焼き印を入れられたGOGOランプを見ても何とも思わない。屁のようなものだし、焼かれるぐらい出ない台が悪いとすら思っている。
台パンされてる台を見て「かわいそう」と思うこともない。
そういう愛着を、パチスロ台に抱けない。もっと世の中には、大事にしなければいけない物があるので。
多分、パチスロという遊びに対して、個人的な視点が加点方式ではないのだ。
消去法で、「最低限出玉さえあればいいよ」と、いつの間にか思うようになってきた。
いや、もちろん最初からそうじゃないけどね。
前述の『巨人の星』を打ってた頃は、それこそ出目にも制作側のこだわりがあるんだろうなぁと気付くぐらいには打ち込んでいたので。
でも、いつしか4号機はなくなり、5号機の“じじいのションベン”程度の出玉スピードを体験させられ、そうこうしてるうちに演出も出目も、興味の対象でなくなって、最終的な出玉の量とかに目が向くようになった。
そこに来ての6号機である。
じじいのションベンの勢いはそのまま、しかし今のじじいはションベンも一気に出し切れない。
2400枚の壁のせいで、ションベンすら小出しにたれ流すようになった。
そのくせ吸い込みは割といっちょ前。
2万、3万平気で吸い込むが、そうなったらよほど良いテーブルなりフリーズなり引かないと、もうAT数回程度ではどうにもならない。
これでよくパチスロって言えるなぁと思える台がゴロゴロしているではないか。
6号機、最高~!
出玉以外にパチスロ台への愛着もないので、もはや面白さを感じられないのかも…
「パチスロの醍醐味って何だと思いますか?」と問われたら、やっぱりツボにハマると数千枚吐き出すスペックの機種があるって答えたくなるのがスロッターの性なんじゃないの?
キャラが可愛いとか、特化が面白いとか、出目がシビれるとか、バカみたいなことを言わされてるんじゃないよって話だと、僕は思っちゃうけどなぁ。
イラストに萌えるだの一確がどうだの、そんなのより大景品に替えられる出玉が山ほどでるほうが絶対いいじゃん。
あれ? ひょっとして市井のパチスロファンはそうじゃないの?
万枚目指さなくても良い感じでやってます?
だとしたら僕はパチスロへの向き合い方がおかしいのかもしれない。
実際、ここ最近は数年ぶりにパチンコをやるようになったけど、正直そっちのほうが面白いもんなぁ。
あまりにも6号機がつまらないので鬱病になってしまったチンパンジー。
やっぱりいっぱい出玉を得られること。
これが何よりのやりがいだよね、パチンコ店においての。
冒頭で「怒り」って表現使ったけど、打ってて腹が立つほどに、クソほど出ない6号機なんか打つぐらいなら、クソみたいな釘のパチンコ打ってる方がまだマシということで、ガッテンしていただけましたでしょうか!



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